お金も、時間も、潤沢な教材もない――。そんな限られた過酷な環境の中で、どうにかして生きた外国語を身につけようともがく「苦学生」の視点から、私が出会った涙ぐましい努力の光景と、実体験から導き出した最も泥臭く、かつ費用対効果の高い語学学習法について書き残しておきたいと思います。
私が中国への留学生活を送っていた頃、日々の暮らしの中で、最初から日本語を流暢に話してくれるような現地の一般人には、まず一人も出会いませんでした。こちらがお金を払って通う語学学校の講師ならいざ知らず、街の雑踏に生きる普通の人々にとって、異国の言葉など必要のないものだからです。しかしその一方で、何としてでも日本語を習得しようと、凄まじい熱量で学問にしがみついている熱心な学習者たちの姿を、私は留学先の師範大学の片隅で幾度も目撃することになりました。

特に印象に残っているのは、大学の学習室で私に積極的に話しかけてきた、ある中国人学生の彼女のことです。
彼女の手元には、一紙の日本語の新聞がありました。それは、何度も何度もめくられ、おびただしい数の単語を辞書で手探りで調べた証拠に、紙面のあちこちが擦り切れ、今にも破れそうなほど、くたびれた姿になっていました。高価な最新の教材や、有料の語学アプリなどを買い揃える余裕など、彼女には到底なかったのでしょう。手に入る限られた素材だけを頼りに、できるだけお金をかけずに貪欲に学ぼうとするその姿は、まさに涙ぐましい努力そのものでした。
同じように限られた仕送りや予算の中で四苦八苦していた私は、彼女の姿に強い共感を覚え、少しでも力になりたいと、彼女の日本語学習に付き合うことにしたのです。
幸いにも、その学習室は多少の声を出しても咎められない大らかな空間でした。周りを見渡せば、私と同じように異国からやってきた留学生たちが、それぞれの母国語や中国語の教科書を熱心に音読している姿が日常の景色としてありました。二十人ほどの小さな教室でしたが、そこには、貧しくとも学びの手を緩めない者たちが放つ、独特の熱気が満ちていたのです。私もまた、彼らの熱量に負けじと、周囲から教えてもらった「最も効率的で、何よりお金のかからない語学学習法」を必死に実践していました。
ここで、私が身を以て効果を実感した、貧しき学習者のための「効率的な語学学習法」の三つの手順を具体的に紹介します。

効率的な語学学習の三原則
- 極限まで簡単なテキストを用意し、1ページを徹底的に音読する: 難しい内容は後回し.
用意する教材は、決して見栄を張って難しいものを選んではいけません。「簡単すぎる」と感じるくらいのテキストが重要です。高度な文法や難解な語彙は、後の楽しみに取っておけば良いのです。まずはその簡単な1ページを、何度も、多ければ多いほど良いという覚悟で、繰り返し声に出して読み進めます。 - 声調とアクセントを大袈裟に発音し、筋肉に覚え込ませる: 恥ずかしさを捨てる.
中国語の命である「声調(トーン)」を、自分で笑ってしまうくらい大袈裟に強調して発音します。語学とは学問であると同時に、スポーツのようなものです。正確な発音の形を、舌に、そして唇の筋肉に文字通り「叩き込む」ようにして覚えさせます。 - ICレコーダーを活用し、自分の発声をリアルタイムで聴く: 機材による省力化.
上記の二つの項目を実行する際、ICレコーダー(録音機)にイヤホンを差し込み、常に「録音状態」にしておきます。こうすることで、自分が発した生の声が、タイムラグなしでダイレクトに自分の耳へとフィードバックされる環境を作り出すのです。
この学習法において、あえて安価なICレコーダーという道具を導入するのには、苦学生ならではの切実な理由があります。
実は、この「大声を張り上げて音読を繰り返す」という泥臭い学習法は、想像以上に凄まじい体力を消耗します。機材の助けを借りずに、自分の発音が正しいかどうかを耳で確認しようとすると、常に教室の端まで届くような大声を出し続けなければならず、またたく間に喉が枯れ、体力が尽きてしまうのです。
しかし、仕送りやバイト代を切り詰めて生活している我々にとって、体調を崩すことや、疲弊して日々の学習を継続できなくなることは、何よりも避けなければならない損失です。
そこで、ICレコーダーの「録音モニター機能」が真価を発揮します。イヤホンを通じて自分の声が増幅されて耳に届くため、ささやくような小さな声であっても、自分の発音の乱れや声調のズレを克明にチェックできるようになるのです。体力を最小限に温存しながら、細く、長く、毎日の習慣として語学学習を継続していくためには、このささやかな機械がもたらす省力化こそが、絶対に欠かせない命綱となります。
お金をかけられないからといって、語学の習得を諦める必要はどこにもありません。むしろ、ボロボロになるまで一枚の新聞を読み込む現地の学生のように、そしてICレコーダーを相棒に狭い部屋で声を出し続ける留学生のように、己の身体と最低限の道具を極限まで使い倒すこと。その泥臭い反復の先にこそ、異国の言葉が自分の血肉となる瞬間が必ず訪れるのだと、私は今でも信じています。


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