ストーリー

ストーリー

【小説】黒いまりも

あの、ぬるい湿気を孕んだ一九九八年の北京の路線バスの車内で、僕の網膜に焼き付いたあの黒いマリモのような腋の毛の塊と、僕の鼻腔を確かにあの日、そしてそれ以降もずっと支配し続けているベビーパウダーのような、あるいはニベアの青い缶の蓋を開けたとき...
ストーリー

【小説】深海魚

その標本は、理科準備室のもっとも奥まった棚、古い百科事典とひび割れた石膏の心臓模型に挟まれた場所に、忘れ去られた祈りのように置かれていた。円筒形の硝子瓶は、長い年月の間にわずかに白濁し、表面には微細な傷が蜘蛛の巣のように走っている。中の保存...
ストーリー

【小説】セロテープのパッチワーク

継ぎ接ぎのラプソディそのバッグを目にした瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。それは、私の中に澱のように積もった、ある種の「敗北感」を象徴するような存在だったからだ。「これ、素敵でしょう? パリのアンティークショップで見つけたの」そう言って、美奈子...
お笑い

【小説】腹ペコの夜間営業

なぜ私たちは午前三時にポテチを開けてしまうのか深夜の静寂を切り裂くように、自動ドアが「ピンポーン」と無機質な音を立てる。オフィス街の片隅に佇む、二十四時間営業のコンビニエンスストア『スマイルマート』。ここは、昼間の太陽の下では決して姿を現さ...
ストーリー

カルーセル麻紀への妄想とマイナス25度。中国・ロシア・北朝鮮の国境を目指して

実は、私はかつて韓国語を熱心に勉強していた時期がある。今から本腰を入れて学び直せば、ある程度まではすぐに勘を取り戻せるだろう。とはいえ、当時の自分がどれほど喋れたかと言えば、「日常会話には事欠かないレベルでした」と胸を張りたいところだが、正...
ストーリー

【小説】スクランブル交差点

〜未練の集積回路と、消えたボタン〜渋谷駅のハチ公前広場は、巨大な水槽の底に似ている。色とりどりの熱帯魚たちが、行き場を失って回遊しているような、あてどない熱気。僕はスクランブル交差点の信号が変わるのを待ちながら、耳に突っ込んだイヤホンから流...
ストーリー

中国留学(宿友との出会い)

記憶の石畳、あるいはハルビンの風に吹かれて窓外に広がる北京の空は、いつもどこか薄汚れた羊の毛を思わせる、不透明な灰色に沈んでいた。私はその停滞した空気のなかで、茶碗の底に沈殿する茶葉を眺めるように、自らの語学力の頼りなさを反芻していたのであ...
ストーリー

温子(おんこ)

静かな山あいの宿での出来事でございます。深い谷底の、岩の間からぽこぽこと湧き出る熱いお湯の中で、一人の娘が目を覚ましました。娘の名は「温子(おんこ)」と申します。彼女はそれはそれは透き通るような白い肌をしておりましたが、その肌は赤ん坊の頬よ...
ストーリー

≪飯テロ≫

伊藤: どうもー、オニギリマンです。お願いします。いやー、最近ネットでよく見かけるじゃないですか。「飯テロ」って言葉。富山: ……ちょっと何言ってるか分からない。伊藤: 分かんだろ! 有名な言葉だよ。夜中においしそうな食べ物の画像をアップし...
ストーリー

スキップ

あろうことか、昨日の夕暮れ、誰もいない並木道で「スキップ」などという、およそ人間に許された最も軽薄で、かつ最も幸福な身振りを試みたのであります。そもそも、スキップとは何事でしょう。歩くという、あの峻厳な自己規律の一歩一歩の間に、ふいと「無意...