スキップ

Uncategorized

あろうことか、昨日の夕暮れ、誰もいない並木道で「スキップ」などという、およそ人間に許された最も軽薄で、かつ最も幸福な身振りを試みたのであります。
そもそも、スキップとは何事でしょう。歩くという、あの峻厳な自己規律の一歩一歩の間に、ふいと「無意味な跳躍」を挟み込む。あれは、大地の引力に対する、あまりに無邪気な反逆ではありませんか。
私のような、背中にべっとりと「生活」という名の重たい泥を背負った男が、爪先で地を蹴り、空中に一瞬の空白を作る。そのことの滑稽さ。そのことの、身の程知らずな図々しさ。


一、二、とリズムを取ってみる。
離れる瞬間、私は確かに、本社の執拗な督促も、工場の油臭い喧騒も、ベトナムの労働者たちのあの憐れみの視線さえも、すべて置き去りにしたような錯覚に陥りました。「おや、らむ銀が跳んでいる」
路傍の雑草がそう言って失笑したような気がして、私は慌てて着地し、何食わぬ顔でネクタイを締め直しました。しかし、一度浮き上がった心臓は、泥水に放り込まれた金魚のように、ひどく不器用な動悸を続けて止まないのです。
スキップ。それは、絶望の深淵を飛び越えるための、あまりに短すぎる翼。
私には、堂々と胸を張って大通りをスキップする資格など、これっぽっちもありません。私はただ、日陰の道を、泥酔した幽霊のように千鳥足で歩くのがお似合いなのです。
けれども、ああ。


あの一瞬、私の体が重力から解放されたあの刹那だけは、私は天手古舞の駐在員でも、無能な経営者でもなく、ただの「空中に浮いた一片の肉体」に成れたのでした。
今夜もまた、独り机に向かい、本社の理不尽な数字と格闘しながら、私はひそかに夢想します。
いつの日か、このすべての苦悩が、嘘のように軽やかなステップに変わる日を。
……いえ、やはり私には、逆立ちして歩くのが精一杯のようであります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました