中国留学(宿友との出会い)

ストーリー

記憶の石畳、あるいはハルビンの風に吹かれて
窓外に広がる北京の空は、いつもどこか薄汚れた羊の毛を思わせる、不透明な灰色に沈んでいた。私はその停滞した空気のなかで、茶碗の底に沈殿する茶葉を眺めるように、自らの語学力の頼りなさを反芻していたのである。言語というものは、実に厄介な生き物だ。それは単なる記号の羅列ではなく、血の通った、時には毒を孕んだ触手のように、話者の喉から這い出し、他者の鼓膜を侵食する。私は、その触手をより滑らかに、より美しく飼い慣らしたいと願っていた。
 そこで私は、友人のMに家庭教師の斡旋を依頼した。Mという男は、大陸の混沌をそのまま背広の形に切り抜いたような、海千山千の策士である。私は彼に、できることなら女性の教師を、それも花のように愛らしく、鈴を転がすような発音を持つ女子大生を、と条件を付け加えた。「女子大生の発音は、その魂の清らかさを反映して、水晶のごとく透き通っているものだ」などという、我ながら反吐の出るような御託を並べ立てたのである。Mは、すべてを見透かしたような不敵な笑みを、その脂ぎった顔に浮かべた。「なるほど、要するに綺麗な女の子を、というわけですな。承知いたしました。私の全精力を注ぎ込み、理想の一輪を探し出してまいりましょう」
 数日後、Mが鼻息も荒く連れてきたのは、林(リン)という名の二十一歳の青年であった。
 女子大生ではない。花のような娘でもない。どこからどう見ても、瑞々しいまでの無骨さを抱えた朝鮮族の青年であった。私は一瞬、Mの襟髪を掴んで「私の水晶はどうなったのだ」と問い詰めたくなったが、林君の眼差しがあまりに澄んでいて、その抗議は私の喉の奥で、未消化の餃子のように止まってしまった。
 しかし、これが怪我の功名というやつだった。
 中国語という広大な迷宮において、漢民族こそがその真の主であると考えるのは、いささか早計に過ぎる。彼らは自らの話す言葉こそが標準であると信じて疑わないが、その実、彼らの言語は方言という名の土着の泥にまみれているのだ。北京の街角で耳にするあの巻き舌の喧騒は、標準語(プートンファ)という高貴な概念からは程遠い、「北京弁」という名の特殊な音楽でしかない。東京の言葉がそのまま美しい日本語ではないのと同様に、北京の言葉もまた、洗練からは程遠い場所にある。
 その点、少数民族である林君は違った。彼らにとって中国語は、学校という聖域で一音一音、丁寧に彫刻するようにして学び取る「技術」なのだ。彼らが発する言葉には、土着の濁りがない。まるで磨き抜かれた外科手術用のメスのように鋭く、それでいて深山幽谷の湧水のように清冽な響きを持っている。
 世のなかに「完璧な中国語」というものが存在するとすれば、それは北の果て、ハルビンにある。私はかつて、その地を訪れたことがある。レンガ造りの建物が並び、石畳が凍てつく風に耐えるその街は、どこか帝政ロシアの亡霊が彷徨っているような、静謐な退廃に満ちていた。ハルビンの人々が話す言葉こそが、中国語の極致とされる一パーセントの真実なのだ。林君の発音は、まさにその極北の美しさに肉薄していた。
 私は彼と、奇妙な、しかし強固な友情で結ばれることとなった。
 私は彼の故郷である朝鮮自治区を、三度にわたって訪ねた。そのなかの一回は、私の母も同行した。私の母という人物は、これまた大陸の土の香りに魅了された奇特な女性で、年に二回、十数年間にわたって中国を彷徨い歩くことを至上の悦びとしていた。母は林君の家を大層気に入り、彼の一族が振る舞う素朴な料理と、吹き抜ける風の潔良さに、少女のような笑みを浮かべていたものだ。


 物語が真に色彩を帯び始めるのは、私が留学生活という名のモラトリアムに終止符を打ち、卒業証書という名の免罪符を手にした時のことである。私はかねてより、満州と呼ばれたあの広大な大地を、自らの足で踏みしめたいと熱望していた。そこには、私の血に刻まれた、逃れがたい記憶の断片が埋もれているはずだった。
 私は林君を誘った。彼は二つ返事で快諾し、私たちは北へと向かう列車の、硬い座席に身を沈めた。
 だが、旅というものは、時として残酷なまでに二人の人間の内面を乖離させる。
 私は、風景を求めていた。見渡す限りの地平線、沈みゆく巨きな太陽が大地を血の色に染め上げる瞬間、あるいは名もなき村にひっそりと咲く野生の花。そうした、沈黙のなかに宿る美を、私は網膜に焼き付けたかった。
 対して林君は、都会を求めていた。煌びやかなネオン、人々の熱気が渦巻く喧騒、文明がもたらす猥雑なエネルギー。二十一歳の青年である彼にとって、死んだような静寂の風景よりも、脈動するコンクリートのジャングルのほうが、遥かに官能的な魅力に満ちていたのである。
「先生、なぜあんな何もない場所へ行くのですか。あそこには、ただ風が吹いているだけですよ」
 林君は、車窓に流れる荒涼とした原野を指差して、不思議そうに首を傾げた。
「その風を聴きに行きたいのだよ、林君。風のなかには、かつてここで生きた人々の溜息が混じっている。それを聴き分けるのが、老いさらばえた私の趣味なのだ」
 私は煙草を燻らせながら、いかにも哲学者めいた嘘を吐いた。
 実際のところ、私の目的はもっと個人的で、もっと湿り気を帯びたものだった。
 私の父は、かつて満州に住んでいた。広大な大地の片隅で、父は何を見、何を想っていたのか。私の両親は共に、戦後の混乱のなか、命からがら大陸を離れた「引揚者」である。私の身体を流れる血の半分、いや、その根源的な部分は、この大陸の泥と風によって形作られたものだと言っても過言ではない。
 父が歩いたであろう石畳、母が見上げたであろう空。それらを一つずつ、パズルのピースを埋めるように確認していく作業。それが、私にとっての満州旅行の真意であった。
 旅の道中、私たちは時に激しく意見を戦わせ、時に沈黙の重みに耐えかねて笑い合った。林君が求める都会の喧騒のなかで、私は父の幻影を探し、私が見つめる寂寥とした荒野のなかで、林君は未来という名の光を探していた。


 ハルビンの石畳を二人で歩いた時のことを、私は今でも鮮明に思い出す。凍てつく空気のなかで、林君の吐く息が白く染まり、その背景にはロシア風の重厚な建築物が、沈黙の巨人のように立ちはだかっていた。
「先生、ここは少しだけ、時間が止まっているみたいですね」
 林君が、その美しい発音で呟いた。
 私は頷き、足元のレンガを見つめた。そこには、数え切れないほどの人々の足跡が刻まれ、風雪に洗われて丸みを帯びていた。その一つ一つが、歴史という名の巨大な胃袋に飲み込まれた個人の記憶の欠片のように思えた。
 林君という、偶然がもたらした(あるいはMという男の悪戯がもたらした)朝鮮族の青年との出会いは、単なる語学学習の域を超え、私の魂を大陸の奥深くに繋ぎ止める鎖となった。
 女子大生の甘い発音などは、もはやどうでもよくなっていた。林君が紡ぎ出す、研ぎ澄まされた清潔な中国語の響きこそが、満州の風景には相応しかったのだ。
 私たちは、異なる目的を抱えながら、それでも同じ列車に揺られ、地平線の彼方へと向かっていた。窓外には、果てしなく続くトウモロコシ畑が、夕闇に溶け込みながら波打っている。
 私は目を閉じ、父がかつて見たであろう、同じ夕闇を幻視した。そこには、言葉にできない哀愁と、それ以上の美しさが、静かに、しかし確固として存在していたのである。
 林君の隣で、私は自らのルーツという名の、巨大な迷宮を彷徨い続けていた。それは、何物にも代えがたい、贅沢で孤独な時間であった。

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