北京の冬は、皮膚の表面を薄い刃物で撫でられているような、鋭い乾燥に支配されている。
留学当時の僕は、その乾いた空気の中で、自炊という行為から徹底的に逃避して暮らしていた。自信がない、という言葉で飾り立ててはいたけれど、実態はもっと惨めなものだった。それまでの人生で、僕は自分の空腹を満たすために火を熾し、食材を切り分けるという、生存のための最低限の儀式を一度も執り行ってこなかったのだ。
住んでいた留学生寮には、誰でも自由に使えるはずの広々とした厨房が備わっていた。けれど、そこは常に各国の女子留学生たちの賑やかな談笑と、嗅ぎ慣れないスパイスの香りに占拠されていて、僕のような不器用な男が入り込む隙間なんて、どこにも見当たらなかった。

たまに勇気を出して厨房へ足を踏み入れる男たちが手にしているのは、決まってプラスチックの容器に入ったインスタントラーメンだった。蛇口からほとばしる熱湯を注ぎ、三分間、所在なさげに蓋を押さえて待つ。それが、僕たちに許された「炊事」の限界点だった。男の自炊なんてそんなものだろう、と自分に言い聞かせてはみたものの、湯気の向こう側で手際よく野菜を炒める彼女たちを見ていると、自分の存在がひどく希薄なものに思えて仕方がなかった。
その寮は、学生が住む場所にしては、どこかホテルに近い奇妙な優雅さを湛えていた。
毎日、部屋にはメイドの女の子たちがやってくる。彼女たちは慣れた手つきでシーツの皺を伸ばし、床の埃を掃き出していく。年齢を聞けば、皆、二十歳前後だった。一番年上に見える子でさえ、三十には届いていないだろう。
異国の地で、文字通り勉強漬けとは言い難い日々を過ごしていると、彼女たちの存在は、単なる労働者以上の「生きた景色」として僕の目に映った。本来、寮生と私語を交わすことは厳禁とされていたはずだが、彼女たちは驚くほど明るく、ノリが良かった。
周囲の目を盗むようにして交わされる、短い雑談。それは推奨される行いではなかったけれど、張り詰めた日常の隙間に吹き込む、柔らかな風のようなものだった。
彼女たちの多くは地方の農村から出稼ぎに来ているらしく、その言葉は、僕が必死に覚えた教科書通りの美しいマンダリンではなかった。
初級の学習を終えたばかりの僕は、その独特の訛りの中に、まだ見ぬ中国の深淵を見出そうとした。今思えば、それは語学学習者が一度はかかる、ひどく滑稽な「驕り」だったのだと思う。異国の女の子と話をして、少しでも息抜きがしたいという、いかにも男らしい浅はかな下心を、「異文化理解」というもっともらしい言葉で塗り潰していただけだった。

そんな折、僕たちの部屋に一羽のウサギがやってきた。
食用として売られていたところを、見るに見かねた友人が救い出してきたのだという。僕たちはそのウサギに「ポチ」という、ウサギの尊厳を半分無視したような名前を付けて可愛がった。
鼻の穴をフガフガと小刻みに動かし、こちらの出方を伺うようなポチの仕草は、殺風景な寮の部屋には不釣り合いなほど愛らしかった。その噂は瞬く間に広まり、普段は男の部屋に寄り付きもしない女の子たちが、わざわざポチをひと目見るためだけにやってくるようになった。ポチは、不器用な僕たちの世界と彼女たちの世界を繋ぐ、奇跡のような架け橋になったのだ。
けれど、生き物を飼うということは、単なる愛着だけでは終わらない。
ポチには「しつけ」という概念が通用しなかった。ある日、ポチはルームメイトのベッドの上で盛大に粗相をした。ウサギという生き物は、一度そこをトイレだと決めてしまうと、頑なに同じ場所でし続ける習性があるらしい。清潔だったはずのベッドは、瞬く間にポチの専用トイレへと変貌した。

その災難に見舞われたルームメイトは、まだ十代の少年だった。
驚くべきことに、彼は僕と同じ街の出身だった。北京という、何千キロも離れた巨大な街の、さらに巨大な大学の寮で、家が十キロほどしか離れていない同郷の人間と相部屋になる。そんな偶然が、この世界には用意されているのだ。
僕たちは、地元にあるなんてことのない一キロ先のスーパーの名前を、北京の寒空の下で語り合った。彼は中国で心理学を学ぶために海を渡ってきたのだという。
「中国の大学に入るには、HSK四級程度の学力があればいいんですよ」
彼が淡々と語るその事実を知ったとき、僕の胸の奥で何かが静かに疼いた。もし、僕が高校を卒業する当時にその情報を知っていたら。迷わず親を説得し、この混沌とした街へ飛び込んでいただろうか。そう思うと、自分の歩んできた道のりさえ、少しだけ頼りなく思えた。
結局、ポチはベランダで飼われることになった。
ポチはそこでも所構わず糞を撒き散らした。ウサギは自分の糞を食べる習性があるという話を、僕は汚れたベランダを眺めながら思い出していた。
そのベランダは、最初から余り綺麗ではなかった。以前の住人が残していった、無責任な荷物が山積みになっていたからだ。
「次の住人が使えるように」という免罪符を掲げて、人はときに、自分がいらなくなったものを「親切」という名の包装紙に包んで押し付ける。けれど、それは単なる責任の放棄でしかない。
もし本当に誰かのためを思うのなら、それは潔く処分するか、あるいは大切に誰かに手渡すべきなのだ。置き去りにされた荷物は、かつての住人の「去り際の美学」の欠如を、何よりも雄弁に物語っていた。
今の僕が務める会社にも、かつてここに住んでいた外国人の古着が、主を失ったままクローゼットの片隅に残されている。それを見るたびに、僕はあの北京のベランダを、そしてポチのフガフガと動く鼻を思い出す。
残された服たちは、かつてそれを着ていた人間の体温を、まだ微かに覚えているのだろうか。
この荷物も、いっそ黙って古着屋に売ってしまおうか。
そんなことを考えながら、僕は窓の外に広がる、北京とは違うけれど、同じように少しだけ乾いた日本の空を眺めている。
無責任に残された過去の破片を、どうにかして自分の手で片付けなければならない。それは、いつまでも自炊ができなかったあの頃の自分との、小さな、けれど終わりのない決着のような気がしていた。

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