中国での生活

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自転車に乗りたい

そのころ、二〇〇〇年の中国の街路には、まだ多くの自転車が風のように行き交っていた。人々の暮らしに寄り添う素朴な移動手段として、私もまた一台の自転車を欲していた。買い物に出るにも、近くの超市へ向かうにも、歩くよりはずっと気ままな自由を与えてく...
中国での生活

中国留学(大陸の教室)

その教室の空気は、いつも微かな緊張感と、それ以上に濃密な多言語の熱に支配されていた。授業の主導権を握るのは、中国語と英語という二つの言語だ。 教壇に立つのは、三人の女性教師たち。便宜上、ここでは王、李、張と呼ぶことにしよう。大陸において、王...
ストーリー

中国留学(宿友との出会い)

記憶の石畳、あるいはハルビンの風に吹かれて窓外に広がる北京の空は、いつもどこか薄汚れた羊の毛を思わせる、不透明な灰色に沈んでいた。私はその停滞した空気のなかで、茶碗の底に沈殿する茶葉を眺めるように、自らの語学力の頼りなさを反芻していたのであ...
中国での生活

中国留学(住まい)

冬の光が、灰色の空から北京師範大学の構内へと、重苦しく、しかしどこか親密な気配を湛えて降りてくる。二十一世紀という、私たちの誰もが未だ実感を伴わぬままに待ち望んでいた、あるいは畏れていたあの巨大な時間の節目を二年の後に控えた、一九九八年の冬...
中国での生活

中国留学

星霜(せいそう)去ること二十有余年、今や追憶の彼方に霞むあの時代を顧みれば、世情は泡沫(うたかた)の夢が潰えた後の混迷の中にあった。人心は定まらず、社会の底辺を流れる空気は、あたかも冬を待つ澱んだ水のように重く沈滞していた。 当時の私は、世...
中国での生活

危機は切り抜けた

すったもんだはありましたが、それでも何とかメッキの良品を作り、親会社へ納品することができたのは良かった。しかし結果として、メッキ屋の社長が出した歩留まりはわずか20%。散々な数字で、正直「ドヘタクソな会社だ」と思わざるを得なかった。まあ、こ...
中国での生活

迷惑な話

老害(薫事ね。)が社内で打ち出した不良対策――それは「品質の水準を高くする」こと、そして「検査の回数を増やす」ことでした。聞こえだけは立派で、いかにも「俺は改革者だ」と言わんばかりのポーズ。しかし実際には、最もやってはならない禁じ手を堂々と...
中国での生活

厄介な吞兵衛さん

まあ、こんな老害(薫事)と一緒に飯なんて食べたくないから、私たちは自然と席を立つ。何とか角を立てずに対応しようとするが、結局この老害は寮で飲んだくれて、ほぼ毎晩のように酩酊してからアパートに帰る。そのタイミングを待って、私たちはようやく帰宅...
中国での生活

困った上司

中国に駐在していた頃、私は賄い付きの5LDKマンションに住んでいた。日本なら大家族向けの広々とした間取りだが、それを一人で使うとなると「いいだろう」なんて思う人はいないだろう。広すぎて持て余すし、使わない部屋がいくつもあっても仕方がない。実...
中国での生活

意味なくない?

ホーチミンの気候は、まるで常夏のリゾート地。年間を通して気温は30度を超え、季節は雨季と乾季の二択しかないという潔さ。北部のハノイには一応「四季」があるのだが、冬といっても日本のように凍える寒さにはならず、せいぜい10度前後までしか下がらな...