息子を思う母

オピニオン

20代後半のころ、私は毎日赤ちょうちんで飲んでいた。当時は東京の北区・東十条界隈に住んでいた。今思うと懐かしい場所で、近くの王子稲荷の稲荷湯に浸かってから赤ちょうちん「升や」に通っていた。

升やはもう20年前になくなっている。マスターが亡くなり、店を閉めてしまった。私は21歳の時から通い、二十歳前後の頃は金もなく週に一回くらいの割合で通っていたが、次第に常連に馴染み、可愛がられて大好きなビールを酌み交わすようになった。大学入学から社会人になるまでの貴重な時期をこの店で過ごしたのだ。青春の店(言いすぎかもしれないが)でもある。ここで酒の飲み方や、ご馳走になったときの礼儀など、社会人としてはなかなか学べないことを身につけることができた。(升やの思い出はまた後ほど書く)

ここで知り合ったのが、小山(仮名)さんという方だ。マスターの高校の先輩で、確かバレーボール部だったと聞いている。小山さんは大手会社の営業で、話の面白い方だった。私は当時水泳のコーチをしていたので、一般的なサラリーマンが多い店では珍しがられ、よく可愛がられた。

その小山さんの息子さんが、とあるジムでボクシングをしていて、後楽園ホールでデビュー戦をすることを聞いたのは、小山さんと知り合って二年ほど経った頃だった。

小山さんの息子、大樹(仮名)くんはバンタム級で、破壊力のあるパンチに定評があった。高校時代は空手部で、守りよりも攻撃に徹するスタイルは、相手の派手なダウンが物語っていた。

小山さんの家は埼玉県にあり、大樹くんの激励会に2回ほど出席した。当時の私は婚約しており、許嫁と共に激励会に参加した。升やの常連も便乗して後楽園ホールに応援に駆けつけた。激励会は近所の公民館を借りて行われ、地域の人々が集まり大樹くんの健闘を称え、宴はいつも大盛況だった。

小山さんと酒を酌み交わし、大樹くんの生い立ちを聞いていると、静かに中年の女性がビールを注ぎに来た。「どうぞ」と一言。「あっ、すみません」と答えると、彼女は微かに笑みを浮かべてお辞儀をし、次の席へ挨拶に回っていった。正直なところ、少し無愛想な印象を受けた。

小山さんがすかさず言った。

「あれ、うちの女房なんだ」

そして続けた。

「妻は大樹の試合を一度も見に来たことがない。それどころか試合のビデオも見ていない。いや、見たくないようだ。そりゃそうだよな。お腹を痛めて生んだ息子が人から殴られ、殴っているんだから、そんな姿は…んー。」

小川さんは声を母親として当然の感情だろう。格闘技を続けることを快く思わない人がいるのも事実だ。

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