北京駅の広大な広場の隅っこで、ぼんやりと空を眺めていた。留学生活という、実体の掴めない時間がいよいよ終わりを告げようとしている。僕は、友人の林君を連れて旅に出ることにした。旅の目的地やその中身については、また後でゆっくりと話すことにする。今はただ、出発の前のあの何とも言えない、胃のあたりが少し重たくなるような「自由」について書き留めておきたい。
僕は北京に残り、林君は故郷である吉林省の延吉へ一度戻っていた。電話の向こうで僕の計画を聞いた彼は、子供のように無邪気に喜んでいた。僕は彼と合流するため、まず北京駅から延吉へと向かうことにした。
北京駅の広場は、サッカー場がいくつも入りそうなほどに広大だ。石畳がどこまでも続いていて、そこには信じられないほどの数の人民が、まるで最初からそこに生えていたかのように座り込み、あるいは横たわっている。待ち合わせをしているのか、それとも行くあてを失ってそこに留まっているのか。その境界線はひどく曖昧だ。
リュックを枕にして、大の字になって寝転がってしまいたいという衝動が、ふっと湧き上がる。ペタンとへたり込んで、菓子を食い散らかしながら大声で笑っている大学生。巨大な荷物に背を預け、赤ん坊を抱いたまま微睡んでいる母親。そこには、滑稽なまでの生気と、どうしようもない倦怠が混ざり合っていた。僕はどっかりと置かれた誰かの荷物に何度も躓きながら、駅の構内へと足を進めた。

鈍行列車で延吉まで二十八時間。座席は板のように固い。けれど、その切符は日本円にしてわずか八百円程度だったと記憶している。八百円で、丸一日以上の時間を「移動」という不確かな状態に委ねることができるのだ。
出発までにはたっぷりと時間があった。僕は駅の売店で、旅の必需品を吟味し始めた。中国の列車旅において、カップヌードルにハムを放り込んで食べるのは、もはや逃れられない「儀式」のようなものだ。駅構内の売店では、案の定、街中とは比較にならないほど強気な値段でそれらが並んでいる。日本の駅弁が高いのと似たような理屈だろうが、そこにある商魂の逞しさには、清々しささえ感じる。
ふと目を上げると、駅の壁面に、目を背けたくなるような凄惨な写真が並んでいた。反政府ゲリラによる爆破テロの犠牲者たちの記録だという。その生々しい遺体の写真は、隠されることもなく、剥き出しのままそこに陳列されていた。
中国では、交通事故の防止啓発のためにも、こうした凄惨な事故現場の写真を掲示することが「よく」ある。二〇〇〇年前後という時代、まだインターネットは今ほど普及しておらず、残酷な画像が日常に溢れ出しているわけではなかった。
当時の僕は、それらの写真をまじまじと見つめることはできなかった。興味本位で覗き込んでは、それが物ではなく「かつて人間であったもの」だと気づいた瞬間に、目を細めて身を引いた。
日本人にとって、死体とは隠されるべきものであり、白い布や儀礼によって日常から隔離されるべき対象だ。そこには「死」に対する畏怖があるのかもしれないが、同時に、死という不条理を直視したくないという臆病さも含まれているような気がする。
駅構内のエックス線検査装置に荷物を通しながら、僕は思う。
この装置の向こう側で、僕のリュックの中身は骨のように透けて見えるのだろう。同じように、この広場に溢れる人々の絶望や希望も、何かの装置で透かして見ることができれば、少しは楽になれるのだろうか。
いや、そんなことはあり得ない。
遺体の写真を街角に貼り出すこの国の露悪的な逞しさと、死を徹底的に隠そうとする僕たちの国の潔癖さ。どちらがより「正しく絶望している」かなんて、誰にも決められない。

僕はカップヌードルとハムを抱え、二十八時間の孤独を買い取った。
固い座席の上で、僕は自分の「生」をどうにかして笑い飛ばそうと試みるだろう。
列車がゆっくりと動き出す。北京の広大な空から、夕闇が静かに降りてこようとしていた。


コメント