今の世の中。もうね、テレビつけてもネット見ても、どいつもこいつも『ポリコレ』だの『多様性』だのって、お題目みたいに唱えやがって。あれ、宗教か何かか? 気持ち悪いんだよ。
パリオリンピックの開会式だってそうだよ。なんだありゃ。青いおっさんが皿の上に乗って出てきたり、首なしの女が歌ったり。フランスってのは芸術の国じゃなかったのかよ。あれを『多様性を認める先進的な演出』なんて褒めてる評論家がいたら、ツラが見てみたいね。ただの悪趣味じゃねえか。いいか、多様性っていうのはな、『無理やり混ぜること』じゃねえんだよ。芸術は「わがまま」でいいんだよ
ディズニーの『白雪姫』だっけ? 今度は黒人の女の子がやるんだってな。人魚姫(リトル・マーメイド)もそうだけどさ。あのね、差別がどうこう言う前に、表現者としてのプライドはねえのかって言いたいんだよ。
白雪姫はな、雪みたいに白いから白雪姫なんだろ? それを『人種に配慮して変えました』って、それはもう白雪姫じゃねえんだよ。『別な姫』なんだよ。だったら、一から新しい、黒人の女の子が主人公の最高に面白い物語を作ればいいじゃねえか。それをわざわざ昔の看板借りてきて、中身だけ自分たちの都合のいい色に塗り替える。これ、一番卑怯なやり方だよな。
芸術ってのは、誰かに許可取ってやるもんじゃねえんだよ。ピカソが『多様性に配慮して鼻の位置を直しました』なんて言ったら、誰も見ねえだろ。自分の見たい世界を、わがままに形にするのが表現なんだ。それを『みんなに平等に』なんて忖度(そんたく)し始めたら、表現なんて死んじまうんだよ。
「配慮」という名のいじめ
今のポリコレ野郎どもはさ、『弱者を守る正義の味方』のツラしてるけど、やってることは一番のいじめだよな。「ハゲ」だの「ブス」だの言って笑いに変えることで、その場を救ってたんだよ。コンプレックスをさらけ出して、みんなで笑い飛ばして、「ああ、人間なんてこんなもんだ」って安心する。それを今じゃ「不適切だ」「傷つく人がいる」って、言葉を全部狩っちまう。その結果どうなった?
ちょっとした失言を見つけては、SNSで集団で石を投げて、一人の人間を社会的に殺す。自分たちは『正しいこと』をしてるつもりなんだろうけど、その顔が一番残酷で、一番差別的なんだよ。多様性を認めるってのはさ、「あいつはバカだけど、まあ面白いところもあるな」とか、「あいつは嫌いだけど、死ぬほどじゃねえな」っていう、その『曖昧な許容範囲』のことなんだよ。それを白か黒か、正義か悪かで全部切り分けようとするから、世の中がギスギスして、どんどん息苦しくなるんだ。
江戸の「粋」を忘れちまった。江戸の町にゃあ、いろんな奴がいたんだよ。まともに働かねえ八つぁんや熊さんがいて、長屋の連中が「しょうがねえ野郎だな」って言いながら、メシ食わせてたんだ。そこにポリコレの役人が来たらどうなる?「八五郎さんの無職は社会問題です。多様性教育を受けさせましょう」なんて、野暮なこと言い出すだろ。そんなことされたら、八つぁんの居場所はなくなっちまうんだよ。今の『多様性』ってのは、結局のところ『管理』なんだよ。お偉いさんが「これくらいの割合でいろんな色を混ぜなさい」って決めて、そこからはみ出した奴は切り捨てる。これのどこが自由なんだよ。
パリオリンピックの演出だって、あれは「フランスはこんなに寛容ですよ」っていう、お偉いさんの宣伝に使われただけだ。選手たちが主役のはずなのに、後ろで思想の押し売りしてる連中が一番目立ってりゃ世話ねえよ。
結論、バカは死ななきゃ治らねえ、世の中全体が、お利口さんのフリしすぎなんだよ。
人間なんてのはな、元々汚ねえし、わがままだし、偏見だらけなんだ。そのドロドロした部分をひっくるめて、どうやって面白がって生きていくか。それが本当の『知恵』ってやつだろ。きれいな水にしか住めない魚は、ちょっと環境が変わればすぐ死んじまうんだよ。今のポリコレ社会は、世の中を全部『蒸留水』に変えようとしてる。そんなところで、面白い映画とか芸術が生まれるわけねえだろ。
こんな世の中に馴染もうなんて思うなよ。
「あいつら、またバカなことやってんな」って、鼻で笑ってりゃいいんだよ。
……ま、こんなところでいいかい。
あんまり喋ると、またどっかの団体から文句が来るからな。あー、バカバカしい。酒でも飲んで寝るわ。
ポリコレ…ねぇ
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