おれは今、コンビニエンスストアという名の、いかがわしい箱の中にいる。夜半だ。夜半としか言いようがない。時刻は日付変更線の一歩手前、午前零時を三十分ばかり越えた、まさに「夜半」である。 この箱は、光に満ちている。蛍光灯の白々しい光が、天井から遠慮なく降り注ぎ、おれの頭頂部を容赦なく照らしつける。まるで晒し者だ。晒し者の気分だ。なぜおれは、こんな夜中に、こんな場所に、かくも明るい光の下に晒されていなければならないのか。否(いや)、晒されているのは、おれだけではない。そこに陳列されている弁当だ。菓子パンだ。酒だ。雑誌だ。すべてが、この暴力的なまでの光の下に晒されている。
弁当の包装紙に印刷された、いかにも健康的そうな鶏肉だとか、新鮮そうな野菜だとか。嘘だ。あれは嘘だ。あんなものが、この時間の、この場所で、本当に新鮮であるはずがない。新鮮であると、誰が言った? 言った奴は誰だ? 顔を出せ。おれは今、怒りに震えている。おれは知っているのだ。この世の真理は、すべてが欺瞞(ぎまん)に満ちている、ということだ。
背後から、自動ドアがスッと開く。また一人、このいかがわしい光の箱に吸い込まれてくる奴がいる。そいつは、おれと同じように、ぼんやりと棚の商品を見つめている。彼の顔には、疲労と、諦めと、ほんの少しの飢餓(きが)が張り付いている。餓えているのだ。肉体も、精神も。この社会に生きる者は、皆、どこかしら餓えている。そして、その餓えを、この光の箱の中の、まがい物の食い物で満たそうと、無意識のうちにしているのだ。何たる悲劇。何たる喜劇。

レジでは、若い店員が、まるで機械のように「ナナコポイントガアリマスカ」と繰り返している。ナナコポイント。ナナコ。七つの子だ。七つの子のカラスは、なぜ山に、可愛い七つの子があるのに、街へ行くのだ? そうだ、ナナコポイントのために。ナナコポイントが、カラスまでも街に呼び寄せているのだ。この世はすべて、ポイントだ。ポイントのために、人は生き、人は死ぬ。そんなバカな。そんなバカな話があるものか。
おれは結局、何を買うでもなく、ただ棚の奥にある、埃(ほこり)をかぶった栄養ドリンク剤を睨みつけていた。あれは、何の効能があるのだ。本当に効くのか。効くとしたら、何に効くのだ。この世界を覆う、途方もない倦怠(けんたい)感に効くのか?
否(いな)、効くはずがない。そんなものがあるはずがない。もしあったとしたら、この世は、とっくに救われている。とっくに救われているはずなのだ。おれは、そう思いながら、結局、何も買わずに、自動ドアを押し開けて、この光の箱から逃げ出した。夜半の闇の中へ。


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