禁煙・断酒・雑穀米。過酷な「食卓革命」で私が手に入れた確かな安心感

オピニオン

――糖尿病という恐怖に抗う、私の食卓革命――

はじめに:引き継がれた遺伝の影

糖尿病という病は、単なる個人の怠惰や一時の不摂生だけで片付けられるものではない。そこには、個人の意思ではどうにも抗うことのできない、不気味で濃い「遺伝の影」が潜んでいる。
後から親族の歴史を紐解いて知ったことだが、若くして食生活を省みず、凄惨な合併症に倒れた私の父の家系は、典型的な糖尿病の血筋であった。父の母親、つまり私の祖母もまた長年糖尿病を患って苦しんでおり、父の兄弟たちも年齢を重ねるごとに次々とこの病を発症していたという。つまり、父の身体には生まれながらにして、その病の種が深く、冷酷に植え付けられていたのだ。
それにもかかわらず、あの脂っこい弁当を好み、赤身の刺身と白米を毎晩のように貪っていた父の生活習慣を振り返ると、今では「なるべくしてなった」としか感じようがない。あの時、もっと家族が強く注意すべきだったのではないか、本人が少しでも己の家系を自覚して踏みとどまるべきだったのではないか――。二度の脳梗塞と一度の脳溢血という、血管が悲鳴を上げて崩壊していく父の壮絶な死を間近で経験したからこそ、私はあの病気がもたらすジワジワとした、しかし確実な恐怖を、尋常ではないレベルで骨の髄まで叩き込まれたのである。

反面教師としての父、そして悪習との決別

父の死は、私にとっての強烈な転換点となった。「このまま同じような生活を続けていれば、自分も間違いなく同じ運命をたどる」という強烈な危機感が、私の胸を激しく突き動かした。私は父の生き方を徹底的な「反面教師」とすることを誓い、それまでの人生で染み付いていたあらゆる悪習と決別する、孤独で過酷な戦いを始めたのである。
まず手をつけたのは、長年吸い続けていたタバコを完全に断つことだった。百害あって一利なしと言われながらも、日常のストレスを言い訳に手放せなかった煙草を、病への恐怖の力によって力づくで押さえ込んだ。
さらに、かつては馬鹿みたいに浴びるように飲んでいたお酒も、一切を止めた。実は、そうやって若気に任せて無茶な飲み方を続けていたせいで、すでに肝臓を患ってしまっていたという深刻な身体の悲鳴もあった。医師からの冷ややかな警告と、父の最期の姿が脳裏をよぎり、私は二度と酒杯を握らないと心に決めた。
そして何より、父があれほど愛し、食卓にないと不機嫌になってまでこだわった「アツアツの白米」を食べるという至福の習慣そのものを、私は自分の人生から完全に消し去る決断をした。白米のあの強烈な甘みは、糖尿病のリスクを背負う私にとっては、もはや美味しさではなく「命を削る白い毒」と同義に思えたからである。

予防のためなら何でもやる、執念の「食卓革命」

兎に角、である。今の私は、糖尿病の予防に繋がる、あるいは血糖値の上昇を抑えられると耳にすれば、どんな情報であっても信じ、貪欲に行動へ移している。かつての不摂生で大雑把だった自分からは想像もつかないほど、健康への狂気的な執念に突き動かされているのだ。
その最たるものが、毎日の「水分補給」と「主食」の劇的な変化である。
私は現在、血糖値を下げる効果や脂肪燃焼、抗酸化作用があるとされるお茶を、何種類も併用して毎日大量に飲んでいる。脂っこい食事の脂肪分を洗い流すための「プーアル茶」、カテキンが豊富で血糖値対策には欠かせない「緑茶」、そしてリラックス効果と共に身体の巡りを調える「ジャスミン茶」……。これらをその日の体調や気分に合わせて組み合わせ、常に身体の中を健康な水分で満たすよう徹底している。
そして、かつて主食だった純白の白米は、今や我が家の食卓から完全に姿を消し、徹底的に計算された「雑穀米」へと生まれ変わった。
私の炊飯器に入るのは、高粱(コーリャン)、粟(あわ)、古代米、そして水溶性食物繊維が豊富な押し麦といった、滋味豊かな雑穀たちのブレンドである。その配合の割合も妥協はない。わずか2合の白米に対して、まるまる1合分もの大量の雑穀をこれでもかと投入するのだ。全体の3分の1が雑穀という、一般的な家庭の「雑穀米」の常識を遥かに超えた配合である。
炊き上がったそのご飯は、父が愛した真っ白な米とは似ても似つかない、赤黒く、ゴツゴツとした独特の質感を持っている。噛めば噛むほど、穀物本来の力強い風味が口の中に広がり、顎を使う。それは洗練された美食とは言えないかもしれないが、私にとっては「今日も病の遺伝に勝っている」という確かな安心感を与えてくれる、命の盾なのである。

おわりに:恐怖を生きる力に変えて

人は、取り返しのつかない事態に直面して初めて、本当の危機を知る生き物なのだろう。もし父が五体満足で長生きしていたら、私は今でもタバコを吸い、酒を煽り、大盛りの白米を呑み込むような生活を続けていただろう。
父がその身を挺して私に遺してくれたのは、糖尿病という病の底知れない恐ろしさと、自分の身体に対する責任の重さだった。お茶をすするたび、雑穀米を噛み締めるたび、私はあの茶色い弁当を嬉しそうに抱えて帰ってきた父の姿を思い出す。私は父を愛している。だからこそ、その血の宿命に負けるわけにはいかない。この執念とも言える食卓へのこだわりは、私がこれからの人生を自分の足で、健康に生き抜くための、切実な誓いなのである。

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