【海外駐在記】中国語が通じない国へ――家庭教師を雇って初めて気づいたベトナム語の恐ろしさ

2007年は、「Manor」の空気しかなかった
思えば、ベトナムという国との付き合いも随分と長いものになった。

人生の起点は、地元のプラスチック成形会社に就職したことだった。やがて中国工場への駐在を命じられ、現場の泥臭い汗と油にまみれながら働く日々を送っていたのだが、人間万事塞翁が馬、諸般の事情があってその会社を離れることになった。
さて、困ったのはそこからである。それまでまともな「求職活動」というものを経験したことがなかった私は、ただ手持ち無沙汰にパソコンの画面を眺め、半ばあきらめ顔でネットの求人サイトを弄(いじる)るくらいしか術を知らなかった。今思えば、現代の転職システムは拍子抜けするほど便利になったものだと思う。採用されるかどうかは別の話としても、画面を数回クリックするだけで世界中の求人にアクセスできるのだから。
当時はまだ、海外での職を求める人間にとってネットの海は不便で、どこか頼りないものだった。それでも私は、画面の向こう側に向かって「ここに、海外へ飛び出したい人間が一人生きているぞ」と無言の声を張り上げるように、自身の経歴を更新し続けた。今で言う「スカウト」のような形だろうか。ある日、そのかすかな叫びを拾い上げてくれたのが、関西に本社を置く一社の中小企業だった。差し出されたカードに書かれていた行先は――ベトナム。

ベトナム。一度も足を踏み入れたことのない土地である。

正直に言えば、再度の中国駐在を念頭に置いて就職活動をしていた私にとって、その打診は晴天の霹靂であった。しかし、不思議と躊躇(ちゅうちょ)する気持ちは湧いてこなかった。見知らぬ異郷へ身を投じる怖さよりも、新しい物語が始まる予感のほうが胸を叩いていたのだ。
2007年当時、足を踏み入れたその地にあったのは、フランス資本の気品を漂わせる「Manor(マナー)」の佇まいと、あの国特有のゆったりとした静謐な空気感だけだった。
問題は言語だった。中国での生活を経て、中国語はそれなりに不自由なく話せるようになっていたが、ベトナム語となると完全にゼロからのスタートである。それでも当時の私は、「まあ、現地に身を置けばどうにかなるだろう」と高を括っていた。楽観というか、無知ゆえの蛮勇である。
中国語の次に習得すべき言語として、かつてNHKの国際放送をぼんやり眺めながら頭を巡らせたことがあった。日本人学習者が少なく、それでいて話者数が多く、市場としての将来性がある言葉。だが、その時の選択肢にベトナム語が上ることはなかった。
なぜベトナム語を除外していたのか。理由は実に単純で、そして浅はかだった。
ベトナム語の表記に使われているのは、見慣れたアルファベット(クォック・グー)である。「アルファベットを使っているのなら、発音も表記も英語の延長線上で比較的容易だろう」と思い込んでいたのだ。おまけに、歴史的な背景から漢字由来の語彙(ごい)が多く、文法構造も中国語と大差ないに違いない――そう勝手に決めつけていた。
今となっては、当時の自分の無知さを苦笑するしかない。
後に私は、このベトナム語という底なしの沼にどっぷりと嵌(はま)り込んでいくことになる。
アルファベットの並びの下に潜む、複雑怪奇な六つの声調。微妙な母音の聞き分け。そして、日本語や英語の発想を根本から打ち砕く独特の表現体系。ベトナム語は簡単どころか、思考の構造そのものが「日本語のちょうど真反対」に位置する、とんでもなく奥深く凶暴な言語だったのだ。
その圧倒的な事実と、自らの甘い認識の敗北を知ることになるのは――現地で家庭教師を雇い、一対一で机を挟み、初めてその言葉の深淵(しんえん)に触れた、もう少し先のことである。

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