「白」という暴力ーパイ投げ撲滅ー

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視界を塞ぐ白濁の膜
 空気が、湿り気を帯びた獣の吐息のように重く停滞している。
 誕生日の、あるいは何らかの祝祭の、頂点(ピーク)に向かって収束していくざわめき。その中心で、彼女は笑っていたはずだった。磨き上げられた硝子細工のような、危うくも瑞々しい、あの日の主役としての輪郭。
 だが、次の瞬間、世界は「白」に塗り潰される。
 それは、雪ではない。空から舞い落ちる、天からの祝福などではない。
 物理的な重量を伴った、粘りつく脂の塊。甘ったるい死の香りを漂わせた生クリームの、暴力的なまでの白濁。
「パイ投げ」という、そのあまりに短絡的で、あまりに無機質な呼称。その裏側で、一人の女性の視界が絶たれる。
 眼球という、人体において最も無垢で、最も脆い器官に、容赦なく叩きつけられる衝撃。網膜の裏側で火花が散り、熱が走り、そして暗転する。それは「面白い」という安っぽい言葉の重力に引きずり回された、愚かな大人たちが引き起こす、取り返しのつかない「事故」という名の、あるいは「犯罪」という名の修羅場だった。

  1. 剥ぎ取られる尊厳
     彼女は、泣いていた。
     いや、それは「泣く」という情緒的な行為ですらなく、ただ身体が拒絶反応を起こし、体液を溢れさせていただけなのかもしれない。
     髪の毛の一本一本にまでまとわりつく、吐き気を催すような白。丁寧に施された化粧は無惨に溶け、彼女が彼女として保っていた「端正な自意識」は、周囲の哄笑によって粉々に粉砕される。
     「恥をかかされる」ということ。
     それは、魂の皮を一枚ずつ生きたまま剥がされるような痛みだ。周囲に響き渡る、無責任な笑い声。動画の向こう側で、スマホの画面越しに消費される、彼女の絶望。
     笑う側の人間の瞳には、彼女の苦痛など映っていない。ただ「画(え)になる」という、浅薄な興奮の火が灯っているだけだ。その瞳の濁りこそが、この世の何よりも恐ろしい。
     かつて、この国には「恥」を知るという、静謐な美学があったはずだ。
     他者の痛みを、自分の皮膚の裏側で感じるような、あの繊細な共鳴。だが、目の前で繰り広げられる光景は、どうだ。
     泣き叫ぶ女性を見て、自らの無知と無能をさらけ出しながら、腹を抱えて笑う。その光景のどこに、人間としての気高さがあるというのか。それはもはや、祝祭ですらない。ただの、品性の崩壊である。
  2. 職人の魂と、乳の恩寵
     想像してほしい。
     そのケーキの、一番上の層に鎮座する、あの滑らかな曲線。パティシエが、自らの神経を細い金口に集中させ、一滴の妥協も許さずに描き出した、白の芸術。
     スポンジの層の間には、幾重にも重なる季節の記憶と、作り手の祈りが込められている。牛という生命が分け与えてくれた、乳という名の恩寵。それを、ただの「泥」のように扱うとは、何という傲慢だろう。
     私は、皿を手に、その一口を待ち侘びる者の気持ちを思う。
     あの上質なクリームが、舌の上で静かに体温と同化し、消えていく瞬間の、あの儚い喜び。それを、人の顔を汚すための「弾丸」として使い捨てる。その感性の欠落は、もはや救いようのない絶望に近い。
     もし、私の目の前で、このような蛮行が繰り返されるならば、私は沈黙を守ることはできない。
     この「顔面ケーキ」という、海の向こうから流れ着いた、下劣で無神経な悪習。それを「盛り上がり」の一言で肯定する文化。
     そんなものは、今すぐこの手で、暗い深海の底へと葬り去るべきだ。
  3. 澄み渡るべき明日のために
     私たちは、もっと自分たちの「手」の使い方を知るべきだ。
     誰かの頬を打つためではなく、誰かの瞳を潰すためでもなく。
     ただ、そっと背中に手を添えるため。
     あるいは、一切れのケーキを、静かな愛惜とともに分かち合うため。
     日本の、あの繊細な菓子に宿る精神。
     それは「愛でること」と「慈しむこと」から始まる。
     一滴のクリームに宿る魂を、私たちはもう一度、見つめ直さなければならない。
     「面白い」という言葉の裏側に、誰かの「血」と「涙」が混じっていないか。
     その白濁の膜が、誰かの未来を永遠に閉ざしてしまっていないか。
     祭りは、いつか終わる。
     だが、その後に残るものが、汚された床と、傷ついた魂であってはならない。
     澄み渡る冬の朝の空気のような、あるいは、春の陽光に透ける薄氷のような。
     そんな、静かで、清潔な喜びだけを、私たちは抱きしめて生きていくべきなのだ。
     この「白」という名の暴力を、私は決して許さない。
     その甘美なる芸術を、本来の場所へと――私たちの、心温まる団欒のテーブルへと、取り戻すために。

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