柔らかな筋肉、遠い日の微笑み ―― 劉さんのこと ――

 職場の空気が、以前よりも少しだけ薄くなったような気がするのは、きっと彼女がいなくなったからだ。
 技能実習生として中国から来ていた劉さんが、仕事を辞めた。四十歳という、女としての酸いも甘いも一通りは飲み込んできたであろう年齢の彼女は、私にとって単なる従業員以上の、どこか波長の合う大切な話し相手でもあった。
 彼女は、とても頭の良い人だった。
 それは学校の成績が良いとか、難しい言葉を知っているとかいうことではなくて、もっと根源的な、そう、例えば「笑いのツボ」がどこにあるかを、指先で探り当てるような賢さだ。
 私は、その人が「おかしみ」を理解できるかどうかで、その人が持っている教養というものの手触りがわかるような気がしている。理屈ではなく、ふとした拍子にこぼれる笑い。それがない人との会話は、どこか味気ないし、心の奥の方まで言葉が届かない。けれど、劉さんは違った。彼女と交わす言葉には、いつも柔らかな湿り気があって、私たちはよく、他愛もないことで顔を見合わせて笑った。
 笑いというのは、本来、強要されるものではないはずだ。
 時々、関西の激しい笑いの渦の中にいると、まるで「ここで笑え」と背中を強く押されているような、妙な圧迫感を覚えることがある。「お笑いをわかっていない」なんていう言葉を武器にして、相手を追い詰めるような笑い。でも、私は心の中で密かに思う。そうやって誰かを裁こうとするあなたこそ、本当の笑いを見失っているのではないか、と。
だってお笑いというのは、本来、もっと無防備なものだ。
 心の内側からふわりと湧き上がってきて、強張っていた顔の筋肉が、まるで春の雪解けみたいに自然に緩んでいく。その「弛緩」こそが、笑いの正体なのだと思う。無理に顔を膠着させて、面白いふりをするのは、どこか自分を騙しているようで悲しい。
 テレビの画面を眺めていると、時折、そのことを忘れてしまったような芸人さんを目にすることがある。
 一発芸の鮮やかさだけで勝負して、一瞬で消えていく人々。もちろん、その一瞬の瞬発力は素晴らしいけれど、長くお茶の間に愛され、日々の生活の隙間に溶け込んでくる芸人さんは、もっと別の「器用さ」を持っている。それは、どんな状況でもしなやかにこなす、地頭の良さのようなものだ。
 ネットのニュースなんかで、何年もアルバイトをしながら、売れることを夢見ている芸人志望の若者たちが紹介されているのを、私は時々、複雑な気持ちで眺める。彼らはきっと、真面目なんだと思う。一生懸命に勉強もしている。けれど、その勉強の熱心さが、いつの間にか「笑いとはこういうものだ」という、自分たちだけの閉じた正解を作ってしまっているようにも見える。そんな彼らから「お笑いがわかっていない」なんて言われたら、私はきっと、少しだけ寂しい気持ちになってしまうだろう。
 お笑いというのは、本当はもっとシンプルで、もっと「ベタ」なものなんじゃないか。
 例えば、タカアンドトシさんやサンドウィッチマンさんのように、誰が見てもわかりやすくて、それでいて話の筋がしっかりしている人たち。彼らには、無理に作った感じが一切ない。自然体のまま、私たちの隣に立っているような安心感がある。
 「作った感じ」がする芸というのは、お正月の特番に一度だけ出てくるような、派手なだけの出し物に似ている。最初は「おっ」と思っても、何度も繰り返して見るうちに、どうしても飽きがきてしまう。
 かつてお正月の定番だった海老一染之助・染太郎さんの芸を思い出す。
 あの方たちの芸は、確かにあれ一種類きりだった。でも、あれは一種の「儀式」のようなもので、他になにもないからこそ、清々しい潔さがあった。けれど、今の時代を生き抜く芸能人というのは、もっと多才で、知的なたくましさを持っている。次から次へと新しいネタを繰り出し、飽きさせない。それは、漫才ブームの時に現れた芸人たちがそうだったように、彼らが類まれな頭の良さを持っているからに他ならない。
 笑いは、立派な文化だ。
 そして、人の心を耕し、豊かな教養を育む「揺り籠」のような側面も持っている。
 特に関西では、笑いはコミュニケーションの潤滑油として、無くてはならない要素だ。大阪へ行くと、意外なほど紳士的で、物腰の柔らかい人に出会うことが多い。それは、彼らが笑いという高度な知性を通して、相手との適度な距離感や、思いやりを学んでいるからではないだろうか。教養があるからこそ、彼らは笑いを優しく使いこなせるのだ。
 劉さんが去った後の、少しだけ静かになった職場の午後。
 私は、彼女と笑い合った時間を思い出しながら、温かいお茶を飲む。
 「お笑い」は、教養だ。でもそれは、誰かを批判するための武器ではなく、劉さんのように、国境や年齢を超えて、心と心をふわりと繋ぐための、魔法のような力を持っている。
 彼女は今、どこで、どんな景色を見ながら笑っているだろう。
 あの時、私たちの間に流れていた自然な空気。筋肉が緩み、心が解けていく、あのおだやかな瞬間。それこそが、何物にも代えがたい「文化」であり、私たちが生きていくために必要な、切実な光だったのだと、今になってようやく気づく。
 窓の外では、季節がゆっくりと、けれど確実に入れ替わろうとしている。
 次の誰かがやってきても、私はきっと、無理に笑わせようとはしないだろう。
 ただ、心のどこかに、劉さんが残してくれた「自然体」という名の宝物を抱えて、日々の生活を丁寧に紡いでいきたい。笑う門には福来たる、なんていう古い言葉が、今の私には、とても静かで、確かな真実のように感じられるのだ。

二つのトランクと、福島の空 ―― 劉さんとの道行き ――

十二時三十分。約束通りの時間に彼女の家の前に車を止めると、そこには二つの大きなトランクが、主(あるじ)を待つ動物のように所在なげに並んでいた。
 技能実習生として日本で過ごした数年間。その月日のすべてを詰め込んだにしては、そのプラスチックの塊は、どこか頼りなく、それでいてずしりと重かった。車に運び込もうと力を込めた瞬間、私の腕に伝わってきたその重みこそが、彼女がこの国で積み重ねてきた時間の正体なのだと、皮膚の感覚が教えてくれる。

二つのトランクと、福島の空 ―― 劉さんとの道行き ――

「思い出がぎっしり詰まっているんだね」
 そんなふうに、少しだけドラマチックな言葉をかけようとして、私は思い直して口を閉じた。そんな感傷的な台詞は、この二人の間には、何だか似合わないような気がしたからだ。私たちはいつものように、たわいもない冗談を言い合い、少しだけ大袈裟に笑いながら、空港へと向かう車を走らせた。
 目指すはセントレア。窓の外を流れる景色は、春の光を孕んで穏やかに明滅している。
 けれど、道すがら彼女が静かに語り始めた言葉は、そんなのどかな風景とは対極にあるものだった。
「日本での生活は、楽しいことばかりじゃなかったよ」
 滔々と、けれど淡々と語られる彼女の本音。それは、この国が技能実習生という存在に強いてきた、目に見えない窮屈さや、孤独の影だった。
 私には、彼女の気持ちが痛いほどよくわかる。
 私もかつて、中国やベトナムといった異国の地で、駐在員として日々を過ごしていたからだ。
 異国で暮らすということは、決してガイドブックに載っているような「旅行の楽しさ」の延長線上にはない。何をするにも、どこへ行くにも、常に「先立つもの」――つまり経済的な余裕という現実が、影のように付きまとう。
 私の場合、日本という資本のある場所から送り出された駐在員だった。会社では管理職という立場を与えられ、待遇も決して悪くはなかった。日本では到底手の届かないような、広くて立派な部屋に住むこともできた。
 仕事探しにはそれなりの苦労もあったけれど、それ以上に、海外でなければ決して味わえない「甘い汁」のような経験もたくさんあった。日本では雲の上の存在であるような、一部上場企業のトップの方々とテーブルを囲み、食事を共にする。そんな、ある種の特権的な高揚感の中にいた時期も、確かにあったのだ。
けれど、劉さんの見ていた景色は、それとはまったく違う色をしていたはずだ。
 同じ異国の空の下にいても、立っている場所が違えば、見える世界はこれほどまでに変わってしまう。私が享受していた「良い思い」の裏側で、彼女のような人々がどれほどの切実さを抱えていたのか。ハンドルの上の自分の手に視線を落としながら、私は言葉にならない苦さを噛みしめていた。
 セントレアに近づくにつれ、海からの風が車体をかすかに揺らした。
 劉さんは、一度中国へ帰り、家族との時間を過ごした後、また日本へ戻ってくるのだという。彼女には待っている夫がいて、愛する子供がいる。それなのに、彼女は再び、この海を渡ることを決めたのだ。
 次のステージは、福島県だという。
「今度はね、キュウリを作るのよ」
 そう言って少しだけ誇らしげに笑う彼女の横顔を見て、私はふっと心が軽くなるのを感じた。
福島。
 その地名を聞いて、私の頭の中に真っ先に浮かんだのは、あのお菓子のことだった。
「ままどおる」
 ミルクの優しい甘さが口いっぱいに広がる、あの懐かしい味。
「福島に行ったらさ、美味しいものをたくさん食べなよ。『ままどおる』っていう、最高のお菓子があるんだから」
 私の言葉に、彼女は「なにそれ、面白い名前ね」と声を立てて笑った。
 劉さんは本当に頭が良くて、笑いの本質をわかっている人だ。
 彼女が日本での苦労を笑い飛ばせる強さを持っていることに、私はどれほど救われただろう。お笑いのセンスがあるということは、どんなに辛い状況でも、自分を客観的に見つめる知性があるということだ。そんな彼女なら、福島の土の上で、きっと立派なキュウリを育てるに違いない。
 空港の出発ロビーで、二つのトランクを見送った後、私は一人で駐車場へと向かった。
 彼女がいなくなった助手席は、さっきまでの喋り声が嘘のように静まり返っている。
 寂しくないと言えば嘘になるけれど、それよりも、彼女が次の場所で見つけるであろう新しい景色に、私はささやかなエールを送りたい気分だった。
 キュウリが収穫の時期を迎える頃、私は福島まで足を伸ばしてみようか。
 泥のついた作業着姿の彼女と再会して、あの「ままどおる」を一緒に頬張る。
 そんな未来を想像するだけで、帰りの高速道路の景色が、少しだけ輝いて見えた。
「日本に戻ってきたら、絶対に会いに行くからね」
 心の中でそう呟きながら、私はアクセルを少しだけ踏み込んだ。
 彼女が選んだ、新しい生活。その先にある福島の空が、どうかどこまでも澄み渡っていますようにと、願わずにはいられなかった。

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