会社の片隅には、数人のベトナム人が働いている。昼休みなどにふと「日本語は難しいか」と問うてみると、彼らは判で押したように「漢字が難しい」と答える。そのたびに、私は妙な感慨を覚える。
かつて漢字文化圏の一角を占めていた彼らが、いまや漢字を前にして眉をひそめるという事実は、歴史の気まぐれを思わせるからである。
フランスの統治が、彼らの文字を奪った。チェノムという古い影は、ラテン文字の明るさの前に退き、やがて忘れられた。それが幸福であったのか、不幸であったのか、私には判断がつかない。ただ、漢字に馴れた日本人の身からすれば、あの象形の森のほうが、いくらか歩きやすいのは確かである。
中国語よりも遥に難しいベトナム語
ベトナム語を学ぶとき、私はつい漢字へと変換し、その意味を確かめようとする。中国語の素養があれば、なおさら理解は早いのだろう。しかし、それでもなお、ベトナム語という言語は、日本人にとって中国語より遥かに手強い。これは疑いようのない事実である。
西洋人にとっても、漢字は異国の迷宮に違いない。隣の席のイザベラ――スペインから来た若い女性――のノートを覗くと、彼女は一文字を書くために五行もの余白を費やしていた。
その筆跡は、まるで深い谷を越えようとする旅人の足跡のように、ぎこちなく、そして健気であった。
私はそのたびに、言語というものの残酷さと、同時に人間の努力のいじらしさを思わずにはいられない。


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