雪化粧

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 或る日の暮方(くれがた)である。

 空は朝から、まるで生温かい石灰の粉をぶちまけたような、縹(はなだ)色の憂鬱に沈んでいた。それが午後を過ぎる頃から、一点の容赦もなく、地上の一切を塗り潰しにかかったのである。

 雪は、ただ美しいという訳には行かない。それは静寂という名の暴力である。

 庭先に立ち並ぶ竹藪の細い枝々は、見る間に白い厚化粧を施され、その重みに堪え兼ねて、時折、骨の折れるような音を立てて撓(しな)いかかる。それはさながら、無理に白粉(おしろい)を厚く塗られた醜い老妓が、鏡の前で悄然(しょうぜん)と首を垂れている姿にも似ていた。

 ふと見れば、門外の通りを歩く一人の男がある。男の被った古びた高越(パナマ)帽の縁にも、やはり無慈悲な白が積もっている。その白は、男の煤(すす)けた外套(がいとう)の黒と対比をなし、一種奇妙な、毒々しいまでの鮮やかさを放っていた。私はその対照を見つめながら、ふと、人間の肺腑に巣食う邪念と、その表面を覆う虚飾の道徳とを想わずにはいられなかった。

 雪は万象を覆い隠す。

 泥濘(ぬかるみ)も、誰かが投げ捨てた犬の死骸も、あるいは昨日までの私の心の汚れさえも、この「雪化粧」という偽善は、等しく銀世界の浄土へと変貌させてしまう。しかし、その清廉な白の下に、腐敗した現実が依然としてその呼吸を続けていることを、私は知っている。

 私は窓を閉じ、暗い部屋の隅に置かれた火鉢の火に手を翳(かざ)した。外はもう、音のない白の氾濫である。その美しさが、私の神経を尖った針のように突き刺す。

 ――果たして明日、太陽がこの化粧を剥ぎ取った後、そこには一体どのような醜悪な現実が、濡れ鼠のように這い出してくることであろうか。

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