玉子が腐った臭い

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 私はこれまでの人生で、「本当に腐った卵」の臭いというものを嗅いだことがない。
小学校の理科の授業で、実験中に硫黄を熱してその臭いを嗅がされた記憶がある。温泉地などでは硫化水素ガスが致死量に達することもあるため、その危険性をあらかじめ子供たちに教え、注意を促すという意味で、この実験は非常に重要で意義のある教育だと言える。しかし、その際に先生が決まって口にする定番の解説には、昔から強い違和感を抱いていた。
「みなさん、硫黄は卵が腐ったような臭いがします」
 先生は当たり前のようにそう表現するのだが、現代の日本にはこれだけ冷蔵庫が普及しているのだ。家庭で卵を腐らせる機会など滅多にないし、わざわざ「腐った卵の臭い」を嗅いだことのある小学生など、今の日本に果たしているのだろうか。
 もしこれが生命に関わる危険回避のための教育であるならば、先生は口頭で説明するだけでなく、本物の腐った卵を教室に持参して嗅がせるべきではないか。もっとも、実験で実際の硫黄(硫化水素)の臭い自体を直接嗅がせているのだから、わざわざ腐った卵を用意する必要など本当はないはずだ。それにもかかわらず、学校教育は子供たちに「体験したことのない嘘」を強要し、大人の用意した正解へと誘導していく。


 学校のテストで「硫黄の臭いは、どのような臭いと表現されますか?」という問いは、誰もが一度は目にしたことがある定番の問題だ。そして驚くべきことに、実際にその臭いを嗅いだこともない子供たちが、こぞって「卵の腐った臭い」と解答用紙に書かなければならないのである。
 当時のクラスには、一人くらいは空気を読むのが得意な「変な優等生」がいたものだ。実験で硫黄の臭いを嗅いだ瞬間、その風潮を察して、わざとらしく声を張り上げる。
「先生! 本当に卵が腐ったような臭いがします!」
すると先生は、待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべてこう応じるのだ。
「そう! その通り。よく知っているね。硫黄は卵が腐ったような臭いがするんだよ」
思い返してみても、実になんとも馬鹿馬鹿しい茶番劇である。
 もし、子供たちが自分の実体験の中から、身近にある硫黄に似た臭いを探そうとすれば、「ドブや排水溝が詰まったときの臭い」や「美容院の強烈なパーマ液の臭い」といった言葉が思い浮かぶはずだ。小学生の感覚としては、こちらの方が圧倒的にリアルで正しい。しかし、テストでこのように回答しても、決して正解の丸はもらえない。自分の鼻で感じたリアルな経験ではなく、嗅いだこともない「卵の腐った臭い」という教科書通りの記号を書いた者だけが、点数を貰えるという歪んだシステムがそこにはある。
 しつこいようだが、私はこれだけ生きてきてもなお、いまだに「本物の腐った卵の臭い」を知らない。それでも私が食中毒にならずに生きてこられたのは、国が定めた「賞味期限」のような形骸化した規則に守られてきたからではない。自分の目で見て、匂いを嗅ぎ、少しでも危ないと感じたときには、五感の警戒アラートに従ってその食べ物を諦めるという「野生の勘」を持っているからだ。


 こうした本質的な危機管理能力は、教科書の文字を丸暗記するような教育からは決して生まれない。幼い頃から家族の調理する姿を見て、あるいは先輩たちの生きる知恵を間近で聞き、実体験の積み重ねの中で少しずつ身体に染み込ませてきた、泥臭くも確かな「生きるための知恵」なのである。

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