私の中国語は、かつて北京にある大学の付属機関でみっちりと学んだ、いわば「お墨付き」の標準中国語(普通話)である。ネイティブの講師陣から発音の基礎を叩き込まれ、文法も体系的に習得した。そのため、現地でもそれなりに通用するだろうという自負がどこかにあった。
しかし、いざ一歩街へ出て、実践の場で使ってみると、その自信は見事に打ち砕かれた。私の綺麗なはずの普通話が、現地の人々にまったく通じないという局面に度々遭遇したのだ。いや、誇張ではなく、むしろ通じないことの方が多いとさえ言えるかもしれない。何度も聞き返され、怪訝な顔をされるたびに、私は戸惑いを隠せなかった。こうした苦い経験を重ねるにつれ、私は単に自分の語学力不足を呪うだけでなく、中国という国家が抱える言語教育や社会構造、ひいては義務教育のカリキュラムそのものに、何か根深い課題があるのではないかと考えるようになった。

そんな中国の教育制度の歪みや、地方の過酷な現実について、私に深い衝撃を与え、強く考えさせられた一本の映画がある。張芸謀(チャン・イーモウ)監督の名作『あの子を探して(原題:一個都不能少)』だ。この作品は、当時の中国、特に発展から取り残された貧しい農村部が直面していた厳しい現状を、リアルかつ冷徹に切り取った文句なしの感動作である。わずか13歳の少女が代用教員として教壇に立ち、出稼ぎに出てしまった生徒を連れ戻すために奔走する姿を通じて、国が定めた義務教育が地方の末端でいかに機能していないか、そして都市と農村の教育環境にどれほど絶望的な格差があるのかを、私たちに重い問いとして投げかけてくる。
地方の現実や政治体制を背景とした映画といえば、それ以前に出会った陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『子供たちの王様(原題:孩子王)』も、非常に印象深い作品だった。文化大革命下の混沌とした農村を舞台に、知識青年として下放された主人公が、既存の硬直した教育カリキュラムに疑問を持ち、独自のやり方で子供たちに言葉や自由を教えようとする姿を描いた作品である。共産党体制に対する若者たちの葛藤や、思想の揺らぎを内包したテーマ性もさることながら、あの映画の全編を包み込む圧倒的な映像美と静謐な空気感は、今でも私の脳裏に鮮烈に焼き付いている。

これらの映画が雄弁に描き出しているように、広大な中国においては、多くの人々が「自分が日常的に喋っている地方特有の言葉(方言)こそが標準語(普通話)だ」と思い込んで生きている。教育の現場ですら、その意識の壁を完全には取り払えていないのが現実なのだ。
もちろん、日本にだって豊かな方言文化は存在する。しかし日本の場合は、学校教育や社会生活において「標準語と方言の明確な使い分け」が個人の意識の中で徹底されている。私自身、栃木県の自然豊かな環境で育ち、地元に根差した企業に就職した身であるが、仕事の現場に一歩足を踏み入れれば、プライベートの訛りは引っ込め、当然のように標準語を使って業務をこなしている。日本人はどこに住んでいようとも、「公の場やビジネスの場では、方言ではなく標準語を用いるのが社会人としてのマナーであり共通認識である」という感覚が骨の髄まで染み込んでいるのだ。
これは、明治維新以降の近代教育の賜物であり、テレビやラジオをはじめとするマナーやメディアの普及が大きな役割を果たしてきた結果である。日本全国どこにいても、誰もが同じ標準語を理解し、共有できる環境が整っている。だからこそ、地方出身の人間であっても、自分の言葉の訛りを相手から指摘されれば、ビジネスシーンでは難なく綺麗な標準語へと意識を切り替えて喋ることができる。これこそが、全国一律の教育が行き届いた日本人の姿であり、近代国家・先進国たる所以(ゆえん)であると言えるだろう。



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