日本は女性にとって、住みにくい国なのだろうか?

 今日、我が社を訪れた営業担当者たちがすべて女性であったことに、私はふとそんな疑問を抱いた。現代において女性の営業職自体は決して珍しくはないが、それでも全員が女性で揃うというのは、割合としてはまだ少数派に属するだろう。
 しかし、仕事の成否を決めるのは性別ではない。男であれ女であれ、話の噛み合わない相手との時間は何よりも退屈なものだ。営業という生業は、単に機械的に仕事を紹介すれば足りるというものではない。何気ない世間話に花を咲かせ、そこから覗くその人の「人柄」に惚れ込んでこそ、私たちは仕事を託そうと思うのではないだろうか。


 そんなことを考えていると、私の記憶はかつて赴任していたベトナムの、あの熱気溢れる日々へと引き戻されていく。
 当時、私は現地で「営業部長」の肩書を背負っていた。しかし実のところ、純粋な営業活動など一度もしたことがなかった。私の正確な役職は「工場長兼営業部長」という、いささか奇妙な二足の草鞋であった。
 日本人が海外の現地法人に赴任すれば、否応なしに管理職の椅子に座らされる。八百人以上の従業員を抱える巨大な工場であっても、そこにいる日本人はわずか三人しかいなかった。一人が品質管理と生産管理の重責を担い、もう一人が生産技術の最前線に立つ。そうなれば、残されたあらゆる「雑用」を引き受けるのは、工場長であり営業部長でもある私しかいない。
 工場長とは名ばかりで、その実態は何でも屋であり、来る日も来る日もクレーム処理の奔走に明け暮れていた。もちろん、膨大な書類作成や細かな改善提案は、優秀なローカルスタッフたちに一任していた。日本人がすべてを背負い込むには、あまりにも荷が重すぎるからだ。私は彼らのような有能なスタッフに囲まれ、実に幸福な環境に身を置いていた。
 私は一応、営業組織のトップという体裁をとっていたが、実質的にローカルスタッフを束ねるトップは別にいた。その最高責任者こそ男性であったが、現場の営業職を見渡せば女性が圧倒的多数を占めており、しかも彼女たちは自ら進んで営業の仕事をやりたがった。
 ベトナムの女性は、驚くほど積極的で自立心に富んでいる。彼女たちの働きぶりは実に立派で、目を見張るものがあった。


 その一方で、現地の男たちの体たらくには、同じ男として情けなくなるほどであった。彼らは驚くほど働かない。
 まるで妻の「ヒモ」であるかのように、結婚を機に仕事を辞めてしまう男が後を絶たないのだ。妻を外へ働きに出し、夫は一日中家で遊んでいる。日本では到底考えられないような逆転の現実が、ベトナムには当たり前のように存在していた。
 私の専属通訳を務めていたフオン(Phuong)という女性も、まさにその一人だった。
 彼女はすでに結婚していたが、その旦那はどうしようもないクズ男であった。
「旦那さんは、毎日家で何をしているの?」
 ある時、私が尋ねると、彼女は困ったような笑みを浮かべて答えた。
「毎日ゲームばかりしているの。本当に困っちゃうわ」
 男の視点から見れば、何とも羨ましい境遇の旦那に見えるかもしれない。だが冗談ではない、フオンがあまりにも不憫であった。彼女は極めて優秀な通訳であり、工場の細かなシステムまで完璧に把握しているため、常に先回りして機転を利かせてくれる素晴らしい女性なのだ。
 なぜ彼女のような才女が、あんな男と……。
 振り返れば、私がベトナムで出会った「仕事のできる優秀な女性」のほとんどが、家で夫を遊ばせていた。
 なぜ、美貌と才能を兼ね備えた「良妻賢備」とも言うべき素晴らしい女性ほど、ろくでもない男に引っかかり、不条理な苦労を背負い込まねばならないのか。
 だが、視点を変えれば、彼女たちはあの状態でこそ「幸せ」なのかもしれない。甲斐性のない夫に献身的に尽くすこと自体に、彼女たちなりの幸福の形があるのだろうか。ベトナムの女性は気性が強く自立しているが、こと家庭においてはそのような至高の包容力を持っているのかもしれない。そう思うと、やはりあの国の男たちが少し羨ましくもある。
 翻って、我が国・日本のことに思いを馳せる。
国連の報告書などでは、日本は女性の社会進出が遅れていると度々指摘される。企業役員の女性比率の低さや、女性国会議員の少なさがその証左として糾弾されるが、果たしてそれだけを理由に、この国を短絡的に「男尊女卑」と断じてよいのだろうか。
 もし、世界の中に「女尊男卑」のモデルとなるような国をあえて探そうとするならば、それはどこになるのだろう。
巷では福祉の充実した北欧諸国などが挙げられるかもしれない。しかし、男たちが外で必死に働き、家庭の手綱を妻が握り、男の稼いだ財の分配権を女性が実質的に掌握しているという精神的構造を見るならば、それこそ「日本」こそが、隠された女尊男卑の国なのではないか。外見的な数字だけでは測れない、複雑な幸福と力関係のグラデーションが、この社会の底には静かに流れているような気がしてならない。

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