北京の街を歩けば、どこからともなく飛来する乾いた砂が、視界を薄く煙らせている。二十世紀がその重い扉を閉じようとし、新たな世紀の足音が微かに、しかし確かな響きを伴って近づいていたあの頃。私は、昼下がりの気怠い陽光に背を押されるようにして、いつもの麺屋の暖簾をくぐった。

店内は、外の静寂を裏切るような熱気に満ちている。茹であがる麺から立ちのぼる白い湯気が、天井の隅に淀み、そこへ人々の話し声や、丼を啜る音が重層的な調べとなって響き渡る。繁盛しているのは、何よりの証左であった。しかし、その賑わいを支えるために設えられた卓は、いささか無慈悲なほどに小ぶりである。
もし、見知らぬ誰かと差し向かいで座ろうものなら、互いの膝が触れ合わんばかりの距離だ。運ばれてきた二つの丼を卓に並べれば、もう一寸の余白も残されていない。その光景は、あたかも壊れやすい均衡の上に成り立つ危うい平穏のようであった。
ふとした拍子に箸を落とそうものなら、事態は一変するだろう。それを拾おうと身を屈めた瞬間、不器用な膝が机の華奢な支柱に触れ、せっかくの昼餉は床に叩きつけられることになる。琥珀色の汁が石畳を濡らし、陶器が砕け散る悲鳴のような音が響く――。そんな想像を振り払うように、私は薄氷を踏むような慎重さで、身を窄めて椅子に座り直した。
注文を済ませると、それほど待つこともなく、湯気を立てたうどんが運ばれてきた。
私は、真昼から独り酒を嗜むという、微かな背徳感を愉しみながら、冷えた麦酒(ビール)を注文した。この街の熱気を、喉の奥へと押し流してくれる琥珀色の雫。それは、長い旅路にある私の孤独を優しく慰めてくれる、抗いがたい悦楽であった。

「服務員(フウウユアン)。」
そう声をかけると、若い女店員がこちらを向いた。
かつて、私がこの広大な大陸の土を初めて踏んだばかりの頃、こうした接客に携わる若い女性を呼ぶ言葉は、一様に「小姐(シャオジェ)」であった。お嬢さん、という響きに含まれる可憐な色彩。どこか初々しく、それでいて仄かな敬意を孕んだあの呼び名を、私は決して嫌いではなかった。
しかし、言葉というものは、時代という名の濁流に揉まれ、その意味を変容させてしまう。
一九九〇年代の終わりから、二〇〇〇年代にかけて。北京の街が急速な変貌を遂げる中で、この「小姐」という言葉は、夜の帳(とばり)に生きる女性を指す隠語として、深く、暗い影を帯びるようになった。不用意にその名を口にすれば、相手の矜持を傷つけ、あまつさえ売春に携わる者として蔑んだと受け取られかねない。接客の場では、いつしか「服務員」という、公的で味気ない、しかし安全な呼称が幅を利かせるようになった。
私が滞在していたのは、まさにその過渡期、二十一世紀の幕が開く直前のことだ。
あの頃の北京には、まだ「小姐」という言葉が、春の柳の芽吹きのように、自然に街のあちこちで囁かれていた。美しかった言葉が、時代の変質とともに穢れを帯び、社会から追放されていく。それは、大切にしていた古い恋文が、日光に晒されて色褪せていくのを眺めるような、やるせない寂寥感を私に抱かせるのだった。

さて、運ばれてきた麦酒を、厚手の硝子(ガラス)に注ぎ込む。
日本人の金銭感覚からすれば、当時のこの地の物価は、まさに驚天動地と言っても過言ではない。北京を代表する銘柄「燕京啤酒(イェンジンピージウ)」は、三三〇ミリリットルの小瓶が、日本円にしてわずか二十五円ほどであった。さらに驚くべきは、飲み終えた空き瓶を店に返せば、八円ほどの預り金(デポジット)が戻ってくるという仕組みである。
つまり、実質的には一本十七円という計算になる。
酒をこよなく愛する私にとって、これほど甘美な誘惑が他にあるだろうか。私はすっかりこの「麦の聖域」に魅了され、お調子者の性質も手伝って、まるで喉を潤す水代わりに麦酒を呷っていた。
ふと遠い故郷の空を思えば、日本の大瓶は当時、二百二十円ほどであったろうか。十倍以上の開きがある。貨幣の価値というものが、これほどまでに目の前の風景の色彩を鮮やかに、あるいは残酷に変えてしまうことに、私は奇妙な目眩を覚えるのだった。
飲み干した瓶を抱え、私は宿舎の近くにある「購買部」という名の雑貨屋へと足を向ける。
そこは、薄暗い店内に日用品や食料が所狭しと並べられ、生活の匂いが染み付いた、どこか懐かしい空間であった。そこで空き瓶を返し、小銭を受け取ろうとするのだが、これが一筋縄ではいかない。
「瓶を返すなら、新しいのを買っていっておくれよ。」
店番の老婆が、無愛想に、しかしどこか慈しむような手つきで空き瓶を数える。
瓶だけを返して現金を受け取れる店は、この界隈では極めて稀であった。別の店で買った瓶を持ち込まれ、その都度現金を手渡していては、小さな雑貨屋の経営は忽(たちま)ち破綻しかねない。店側の持ち出しを抑えるための、それは生活の知恵から生まれた防衛策なのだろう。
「そりゃあ、そうですよね……。」
私は独りごち、結局、戻ってきた小銭をまたカウンターに置き、中身の詰まった冷たい瓶を数本抱えて、店を後にすることになるのだった。

当時の中国における平均的な月収は、おおよそ五千円前後――三百から四百元といったところだったろうか。
そう考えれば、この十七円の麦酒も、彼らにとっては決して安価な気晴らしではなく、一日の労働の果てに手にする、それ相応の重みを持った嗜好品であったのだと頷ける。
私は、再び北京の喧騒の中へと歩き出した。
埃を被った街路樹、絶え間なく鳴り響く自転車のベル、そして遠くから聞こえる人々の野太い呼び交わす声。そのすべてが、琥珀色の液体の向こう側に、淡い幻影のように揺らめいている。
若かった私が、あの安価な麦酒と共に飲み干したものは、単なる酒ではなかった。それは、激動の予感に震えながら、巨大な龍が目覚めようとする大陸の、その力強い呼吸そのものであったのかもしれない。
空はどこまでも高く、乾いていた。
私は、次に訪れるべき麺屋の場所をぼんやりと思い浮かべながら、少しだけ足早に、夕暮れの色に染まりゆく街を歩き続けたのである。あの、ほろ苦い麦の香りを、今一度確かめるために。


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