昨今の人手不足の波は、容赦なく我が社の足元にも押し寄せ、深刻な影を落としている。いかに声を大にして人材を求めても、砂漠に水を撒くが如く、思うように人は集まらない。業を煮やして派遣業者に現状を問い質してみても、「とにかく市場に人がおらず、人材の確保自体が極めて困難である」という、判で押したような答えが返ってくるばかりだ。
少子高齢化という抗えぬ時代の潮流もあろうが、いざ業者を介して面接の場に臨んでみると、そこに並ぶ顔ぶれが急速に多国籍化していることに気付かされる。

しかし、派遣というシステムがもたらす書類は、あまりにも素っ気ない。履歴書に記されているのは簡素な職務経歴のみで、その人物が一体どれほどの技術や熱量を持っているのか、肝心の「スキル」が全く見えてこないのだ。派遣会社に詳細を求めても、「個人情報保護」という現代の免罪符を盾に、頑なに情報の提供を拒まれてしまう。その上、面接の場で交わされる片言の日本語だけでは、彼らの秘めたる実力の深淵を探ることなど到底不可能なのだ。
結局のところ、支払うコストと不確定要素の天秤を眺めながら、彼ら外国人にはどうしても「単純作業」を割り当てざるを得ないのが、冷徹な現実である。
とりわけ製造業の現場において、何よりも最優先されるのは「安全」の二文字だ。それゆえ、現場の古い人間たちは「言葉の壁がある外国人に、複雑で危険な作業を任せるわけにはいかない」「機械のオペレーターなど到底無理だ」と口を揃える。
だが、果たして本当にそうなのだろうか。私はその一律の諦観に、いささかの疑問を禁じ得ない。
機械というものは、毎日向き合い、その駆動音を身体に染み込ませていけば、液晶画面に並ぶ文字がたとえ見慣れぬ言語であっても、「大体このようなことが書かれているのだろう」と直感的に予測できるようになるものだ。そして、異国の地で生きる彼らとて、いつまでも日本語が分からないままでいるわけではない。日々、世界の解像度は上がっていくはずであり、何ヶ月経っても何が書いてあるか分からないなどという無能のままで停滞しているはずがないのだ。それなりの時間を経て成長すれば、記された記号の意味は自ずと血肉化していく。

かつて私が海外に駐在していた頃を思い出す。私は現地の機械に書かれた説明文を厳密に読解して操作することよりも、作業員がその画面を目にして「実際にどう行動しているか」という、身体的リアクションを観察することで現場を納得させ、動かしていた。
「そんな大雑把なやり方では、いつか致命的な誤動作を生みかねない」
そう眉をひそめる御仁もいるだろう。しかし、私はあえて言いたい。それは実際、それほど大きな問題ではないのだと。もちろん異論は認める。だが、滅多に起こり得ない極小の確率をわざわざクローズアップし、さも明日にも破滅が訪れるかのように騒ぎ立てる世の風潮に対して、私は強い嫌悪を覚える。だから、この点についての反論はここまでに留めておこう。
文字の内容が正確に伝わらず、あるいは指導者の説明不足が災いして、凄惨な事故へと繋がった例など、過去の歴史を紐解けば幾らでも転がっている。しかしそれは、工場という名の、一種の閉ざされた「生態系」の中で、歪みとして不可避に起こってしまう出来事なのだ。

経済的な理由による設備の未熟さ、現場の従業員たちの安全に対する認識の浅さ――事故を引き起こす要因は、探せばいくらでも後付けできる。だが、本質的に「偶然性」という名の悪魔を完璧に予測できない以上、起きてしまった事象に対しては、残酷ではあるが「しようがない」と言うほかない側面があるのだ。
人間は、予測不可能な未来をどうにか必死に予測し、予防の網を張り巡らせている。この涙ぐましいまでの努力があるからこそ、本来ならば毎年十人が命を落としていてもおかしくない危険な現場が、年間数件の「ケガ」程度のレベルで抑え込まれているのだ。
いささか大袈裟な話に聞こえるかもしれないが、事実、一万人規模の巨大企業ともなれば、統計上、一年に一人の割合で労働災害による死者が出ている。この「工場の生態系」に潜む生と死のマジックを、私の拙い理屈で完璧に証明することは能力的に叶わない。しかし、長年現場に身を置いてきた私の経験則は、それが紛れもない真実であると記憶している。大企業で事故があれば大々的に報道されるが、世の耳目を集めない中小企業レベルの現場では、今日も結構な数の命が、静かに、そして確実に失われているのが現実なのだ。
ならば、私たちはどうやってその牙から逃れ、危険を回避すべきなのか。
これまでの私のささやかな経験の中で、もし「あの時、適切な対処方法があったにも関わらず、防げずに大事故へと発展してしまったケース」を挙げるならば、その原因はただ一点に集約される。
それは、「二人一組で仕事をしていなかったこと」――すなわち、作業者の近くに、誰も人間がいなかったということだ。
孤独な空間で死神に魅入られた時、救いの手はどこからも差し伸べられない。行動を起こす際、自分のすぐ近くに「誰かがいる」という事実を互いに確認し合うこと。それこそが、工場の暗がりに潜む死神の鎌を鮮やかに回避するための、最も単純で、かつ最も強力な、唯一無二の方法なのである。
過去に起きた数々の痛ましい大事故の爪痕を振り返るたび、私はその確信を深くするのである。


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