メニューは誠実であってほしい

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 これほどまでに胸の奥が激しく波立ち、抑えきれない憤りを覚えたのは、一体いつ以来のことであろうか。
ある日の午後八時半、私は妻の細い肩を並べるようにして、近所に新しくできた唐揚げ専門店の暖簾をくぐった。初めて訪れる店の勝手が分からず、いささか戸惑っていると、店員に促されるままに奥の席へと案内された。
妻はひどい寒がりであった。おまけに、その夜はこれから過酷な夜勤を控えている。少しでも身体を芯から温め、英気を養ってほしいという私のささやかな願いから、彼女は「唐揚げの乗った味噌煮込みうどん」を、私は「油淋鶏(ユーリンチー)」を、それぞれ注文することにした。
 注文を繰り返す店員の口から出たのは、「味噌煮込みうどん定食ですね」という無機質な確認の言葉だった。
卓上のメニューに目を落とすと、そこには湯気を立てる煮込みうどんが、白飯の手前に堂々と写し出されていた。丼の深みは立体的な陰影を帯び、後ろに控える飯茶碗の一部を覆い隠すように配置されている。その構図を見る限り、それが深々とした大振りの丼で供されるものであることに、一ミリの疑う余地もなかった。店員の言葉によって、私たちはそれが「定食」という枠組みであることを初めて認識したのである。
 少食の妻にとって、大きな丼うどんに、さらに白飯と味噌汁までがついては、とうてい食べきれるはずもない。そう案じた私は、すぐさまそれを「単品」での注文へと切り替えた。
 しかし、しばらくの静寂ののち、恭しくテーブルに運ばれてきたものを見た瞬間、私たちは我が目を疑った。
 店員が事もなげに置いたのは、あろうことか、平たい鉄板焼きの皿だったのだ。
 湯気煙る深い丼ものを今か今かと待ち侘びていた私たちにとって、それは一瞬、他人の注文が間違えて届いたのかと錯覚するほどの衝撃であった。だが、現実は残酷である。私たちは、メニューの写真という巧妙な罠に、まんまと嵌められたのだとすぐに気付かされた。
 あの写真に写っていた「飯」の存在は、丼の大きさを誤認させるための、計算され尽くした舞台装置に過ぎなかったのだ。これほどまでに悪質な手法が許されるのだろうか。巷で囁かれるコンビニの上げ底弁当を遥かに凌駕する、欺瞞に満ちたやり口に、胸の底からふつふつと熱い怒りが込み上げてきた。


 せめて味だけでも救いがあれば、この落胆も少しは癒やされたのかもしれない。しかし、期待を寄せて口に運んだ唐揚げの出来栄えは、まさに惨憺たるものであった。
 無類の唐揚げ好きであり、普段ならどんなものでも美味しそうに平らげる妻が、どうしても箸を進められず、ぽつりと一つを残した。彼女のそんな姿を見るのは初めてだった。
唐揚げが好物だからこそ、この店を選んだのだ。それなのに、量で騙され、味でさえも裏切られることになろうとは。妻の言葉を借りれば、その唐揚げは喉を通すのが苦痛なほどに苦味が強く、飲み込むのさえ一苦労だったという。
 夜勤前の妻の身体を労わろうとしたささやかな夕餉の時間は、こうして最悪の結末を迎えた。
企業の良心を真っ向から疑わざるを得ない、あまりにも不誠実なメニュー。この理不尽な落胆を、ただの苦い思い出として心の奥底に沈めておくわけにはいかない。私たちが味わったような絶望を繰り返す、第二の犠牲者を決して出してはならないのだ。
 私はその強い決意を胸に、食べログやXという現代の瓦版へ、この夜の出来事を克明に刻み込むことを固く誓ったのである。

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