品質が良ければ売れるのか?

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品質――この言葉ほど、工場人間を悩ませる呪いはないのではないか。私は日々、品質という怪物に追い回されている。そして考えに考え抜いた末に、ついに断言するに至った。すべての工場は「過剰品質」という病にかかっている!設計図通りに作っていれば本来は問題ないはずだ。図面に忠実であれば、機能は保証される。外観は「どうでもいい」とまでは言わない。しかし、機能に支障がなければそれで十分ではないか。ところが現実は非情だ。お客様はそんな「弱者の感想」など一顧だにせず、無駄に高水準の品質を求め続ける。まるで品質という神に生贄を捧げる儀式のように、血眼になって完璧を追い求めるのだ。

さて、皆さんは「ダイソン」というメーカーをご存じだろうか。そう、かつて世界を席巻した吸引力の怪物掃除機で名を馳せた、あのダイソンである。今では当時ほどの勢いはないものの、掃除機といえばダイソン、と言っても過言ではないほどの知名度を誇る。ところが近年、彼らはEV業界に手を伸ばし、その結果業績が傾いたという話を耳にした。やはりEVというものは、夢のように語られながらも現実には難しい代物なのだろう。だが、掃除機に革命を起こしたダイソンの功績は否定できない。吸引力という一点において、彼らは世界を驚愕させたのだ。

しかしながら、その掃除機の筐体成形技術については、率直に言って「かなり酷かった」と言わざるを得ない。もし同じレベルの製品をPanasonicや東芝に持ち込んだならどうなるか。間違いなく、持参したサンプルを顔面めがけて投げつけられ、怒声を浴びせられるに違いない。それほどまでに、ダイソンの筐体には不良が多かったのだ。特にひどいのが「フローマーク」不良である。流線形の模様のように見えるが、実際には金型の温度が十分に上がっていないために発生する欠陥である。英国企業であるダイソンだからこそ通用したのかもしれないが、品質に厳しい日本市場では到底受け入れられない。

さらに驚くべきは、ダイソンが外注した(おそらく)成形業者がどれほど下手であろうとも、彼らは「売れているから外観不良なんてどうでもいい!」と割り切っていたことである。売れれば何でもあり――これが彼らの哲学なのだ。正直に言えば、売れないからこそ品質にこだわるのである。売れる商品においては、多少の外観不良など問題にすらならない。だが、その裏でどれほどのプラスチック樹脂が無駄に廃棄されてきたことか。もったいない!大量の不良品が廃棄され、その中には0.5ミリのゴミ粒が混入していたり、目を凝らしてようやく見つけられる程度の微細な傷があったりする。そんなものを誰が気にするというのか。そこまで見ている人間など、実際にはほとんど存在しない。

それにもかかわらず、ダイソンは不良品すら商品として堂々と市場に送り出していた。これこそが彼らの大胆さであり、ある意味で環境保護への貢献でもある。廃棄せずに売る――それは資源の有効活用であり、循環型社会への挑戦である。環境保護に寄与していたのだ。素晴らしい!と叫びたくなるほどだ。

結局のところ、品質とは何か。完璧を追い求めるあまり、資源を浪費し、人を疲弊させ、工場を苦しめる。だが一方で、多少の欠陥を許容しながらも市場で勝ち続ける企業が存在する。品質とは絶対的なものではなく、相対的な価値であり、顧客の心理と市場の力学によって決まるのだ。私はこの現実を前に、ただただ「品質」という幻想に振り回される人間社会の滑稽さを笑うしかない。

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